今年で活動20年目を迎えるロックバンド・くるりのフロントマンとして、ファンのみならず多くのミュージシャンたちに影響を与えてきた岸田繁さん。時代と共に、音楽のつくり方も、演奏スタイルも、大小の変化を繰り返してきたという。現在は楽曲をつくり、ステージに立つだけでなく、オーケストラに向けた交響曲の作曲や、地元京都にて大学教授の仕事をも担う。移ろいゆく音楽の世界にいるからこそ、変えなくてよいものはできるだけ変えたくないと話す岸田さん。毎日身につける衣服もそのひとつで、気に入ったものに出会うとリピートし続けるのだとか。変化の積み重ねと、一途なもの。進化を続けるユニクロのベーシックウェアの精神にも紐づく、その2つのコントラストが必要な理由とは。
——くるりとして活動20周年を迎えましたが、どのような変化がありましたか。
「もう毎回毎回が変化ですね。あらかじめ決めているわけではないんですけど、例えば、ライブで昨日と同じ曲を演奏したとしても、全く同じパフォーマンスにはなりません。演奏する場所も変わるし、天気も、お客さんも、自分たちの体調も、あるいは使う楽器も違ったりします。それに対して、つくった楽曲はずっと残っていく、バンドにとっては背骨のようなものです。ライブでの些細な変化が、自分たちの楽曲にどのような影響を与えるか、毎回楽しみではありますね。だからバンドとしてはあまり保守的になりすぎず、割と自由に、常に柔軟な状態にしておくっていうのは意識しています。普段から小さな変化を積み重ねていると、自ずと、じゃあ次のタームに行きましょうというときに大胆に舵を切りやすいんですよ」
<着用アイテム>
リネンコットンシャツ
ストレッチセルビッジスリムフィットジーンズ
——ライブは、岸田さんにとってどのような場所ですか。
「野球に例えると、僕とバンドのメンバーがプレイヤーで、ライブは試合じゃないですかね。後戻りできない時間があって、リアルタイムに進んでいく空間。だけど僕たちの楽曲と演奏だけじゃなく、会場やお客さんたちが醸し出す熱量みたいなものがひとつに混ざり合う場だから、自分たちの力だけでつくり上げるものではないです。決して勝負ではないんですけど、ストレートに球を投げるときもあれば、変化球を投げるときもあって、でもやっぱり、難しい球をお客さんに打ち返して欲しいという感覚もどこかにありますね。
去年から、くるりの過去のアルバムに焦点を当てたライブを何篇か行っているんですけど、それはお客さんと一緒に、現在の視点で当時の楽曲を再確認するような作業です。過去の自分たちの状態や、あのとき自分たちはこういうことが表現したかっただろうな、というのを確かめながら演奏しています」
——先ほど仰っていた楽曲をつくるときのこだわりはどのような部分ですか。
「ちょっと音楽の専門的な話をしますと、“内声”といって主になるメロディの裏に動いているものがあって、そこにはめちゃくちゃこだわっています。和声や和音の変化にあたる部分なので、決して音楽の中での主役にはなりません。メロディにしても、歌詞にしても、一見僕たちはそんなにスペシャルなことはやっていないように見えるんですけど、もうひとつ内側にある音はすごく念密につくっていまして。たぶん、自分にしかできない部分かなと思っています。料理で言うと、お出汁ですね。なかなか口で説明するのは難しくて、まぁ、秘伝の出汁です」
——影響を受けた人はいますか。
「音楽を仕事にしていますが、自分の哲学的な部分や生き方に関しては、いわゆる日本のポップミュージックシーンや、海外のバンドを参照にしないようにしています。もちろん、音楽的に好きな方はたくさんいるんですけど。むしろ、野球選手とか画家とか、違うフィールドの人の精神を音楽に反映した方が面白かったりするんですよね。例えば、中日ドラゴンズにいた山本昌という投手は50歳まで現役で投げていましたが、彼の野球の才能はもちろんのこと、自己管理能力や、試合に出たときの勘の働かせ方、チームへの貢献の仕方とか、それを自分が今たどっている音楽の道に当てはめるとどうなるだろう、と想像してみたりします」
——壁にぶつかったとき、岸田さんはどのように問題を解決されていますか。
「音楽は目に見えないし、正解も不正解もないじゃないですか。デビューして時が経つに連れて、今までよりいいものをつくろうとすると、どんどん自分で壁をつくるようになってしまうんですよね。この仕事を始めた頃は、ただ我武者羅に壁に立ち向かうだけでした。壁は越えるしかない、越えられるんだっていう強い思い込みと、努力で解決する感覚っていうんでしょうか。だけど最近は少し変わってきて、別の方法に気づくようになりました。“諦める”という文字は僕の辞書になかったんですけど、ここ何年か、今の方法を諦めて別の方法を試したら、上手くいくことの方が多かった。よじ登って越えることしか考えていなかった壁があったとして、実はその壁は豆腐で簡単に崩せるものだったとか、壁の横を回り道した方が早かったとか、別の道に気づけるようになりました」
——普段身につける服はどのようなものを選びますか。
「自分が動きやすいもの、身につけていて心地いいものを見つけると、それを何枚も買ってしまいます。靴や眼鏡は、ひとつ使い出すと、壊れるまでずっと同じものを使ってしまうんですよね。変化を求められる仕事をしているもので、変わらなくてもいい部分は、できるだけ変化させないようにしているんです。まあ、ただの面倒くさがり屋なんですけど(笑)」
——演奏するときはどんな着心地のものがベストですか。
「演奏するときも普段も大差はなくて、装備として最低限守られているけど着心地は軽い、というんでしょうか。どんなにかっこいいデザインのジャケットでも、鎧を着ているようなカッチリとした着心地のものはしんどいですし。着用感を感じるか、感じないかの中間ぐらいがベストですね。ツアーのときはユニクロのエアリズムインナーを重宝しています。パッと洗ってもすぐに乾くから、特にこの季節は、何枚も持っていきます」
——今後、どのようなことにチャレンジしたいですか。
「くるりとしては、新しい作品をつくり続けたいなと思っています。個人的には、今取り組んでいるようなオーケストラのための交響曲を、今後のひとつのライフワークにしていきたいです。それと、最近大学で授業を持つようになりまして、ゼロから人に教えるということは決して簡単なことでないのですが、やりがいのあることなので、続けていきたいですね」
<着用アイテム>
リネンコットンシャツ
ストレッチセルビッジスリムフィットジーンズ
岸田 繁
1976年京都府生まれ。ロックバンド「くるり」のヴォーカル、ギタリスト。98年のデビュー以降、コンスタントに作品を発表し続け、映画のサントラ制作、アーティストへの楽曲提供も行う。2016年4月より京都精華大学の客員教員に就任。9月18日にはくるり主催の野外イベント「京都音楽博覧会2016 IN 梅小路公園」が、9月20日、21日にはライブ「NOW AND 弦」にてウィーンアンバサーデオーケストラとの共演が決定。12月には、初となる交響曲を書き下ろした京都市交響楽団との公演が控えている。http://www.quruli.net/
キャッチーなサビのリフレイン、岸田繁のラップ、ゲストヴォーカルとしてUCARY&THE VALENTINEを迎えるなど、実に印象的で、ブランニューダンストラックとも言える1枚。
発売日:2016年7月6日
Photography & Movie: Takeshi Shinto
Styling: Masayo Morikawa(1994)
Movie edit: Kenichi Murase
Music: Kazuki Sugawara
Edit &Text: Satoko Muroga(Rocket Company*/RCKT)