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アンリ・マティスが愛した街 ニースに想いを馳せて

自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われたフランスの画家アンリ・マティス。
48歳でニースに移り住み、生涯を終えるまで創作を続けた彼にとって、
ニースはどんな街だったのか。 Tシャツになった作品とともにマティスの足跡を辿っていく。

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アンリ・マティス


ジャズ II. サーカス / ジャズ V. 馬、曲馬師、道化師
マティスの代表作とも言える切り絵によって制作された象徴的な画集 『ジャズ』 には、20点の作品と手書きの目次が収められている。 サーカスや民話、動物、タヒチでの旅の思い出などをモチーフとした鮮やかな色彩と躍動感が特徴。



ブルー・ヌードIV
晩年に残した切り絵によるシリーズ 『ブルー・ヌード』は4種類の作品がある。ブルーの紙で女性の身体のフォルムをシンプルに表現。『ブルー・ヌード IV』には、唯一下描きの線が いくつも残されており、探求の途中経過がうかがえる。


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アンリ・マティス

ジャズ VIII. イカルス
『ジャズ』シリーズの第8図にはギリシャ神話に登場する人物、イカロスが描かれている。翼を手に入れて空を飛んだものの太陽に近づきすぎて翼が溶け、堕落する場面の躍動感と悲劇的な運命を切り絵に込めている。


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アンリ・マティス


亡くなる前年に作られた切り絵『束』。植物の葉や茎を思わせるモチーフが放射状に広がり、ブーケのようにも見えるデザインが印象的。生命の躍動感や自然の美しさを色と形で表現した、マティスの芸術的探求の最終章を象徴する作品の一つ。


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アンリ・マティス

ブルー・ヌードIV
p.03のフロントショット。マティス本人が描いた、名前を象徴的なカラー「ブルー」でシンプルにデザイン。『ブルー・ヌード IV』は、女性の身体の形を切り絵で何枚も重ね、筆で描いたかのような微妙な濃淡が表現されている。


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アンリ・マティス


ジャズ XXI. 目次
アートワークだけでなく、文章まですべてを手がけた画集 『ジャズ』の目次のグラフィック。 グリッドデザインに縛られない自由なレイアウトと、伸びやかな手描きのタイポグラフィ からもジャズ音楽のような即興性やリズムが感じられる。


ジャズ VIII. イカルス
p.04のバックショット。フロントにはイカロスが描かれ、バックには画集でその 隣ページに綴られたマティスの手書きの文章をプリント。『ジャズ』には視覚的 な表現とともに、芸術への想いや理念、旅、愛の話などの文章も添えられている。


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アンリ・マティス


Henri Matisse
音楽を聴いているかのように、手が動き形が生まれていく。色鮮やかに着色され切り抜かれた紙が、 大胆かつリズミカルに配置されている。マティスが生涯にわたり追求した「色彩の純粋な美しさ」が凝縮されているよう。



アーティスト、ソフィーが語る曽祖父アンリ・マティスについて

Q 曽祖父アンリ・マティスの存在は、あなたのアーティスト活動にどのような影響を与えていますか。

子供の頃から、マティスは私の人生において大きな存在でしたが、当初は彼の偉大さを理解できませんでした。その後、成長するにつれて彼の偉業にただ圧倒され、畏敬の念さえ覚えていましたが、やがてそうした感情も和らいでいきます。制作においては、彼の人生よりもはるかに大きくなった存在を常に感じ続けるのは容易ではありませんでした。この家族というつながりのせいで、自分がアーティストには向いていないと思ったことも少なくありません。それでも私の作品の光や色、線の形において、マティスが深く影響を与えていることは確かです。

Q マティスと一緒に過ごしたことはなかったと思いますが、家族だからこそわかる彼の人柄を教えてください。

年月をかけて、マティスのちょっとした性格についてなど、いろいろなことを知るようになりました。 例えば、滑稽で悪戯っ子のような面があったということ。それは彼を一人の人間として、私と同じように家族の一員として感じられる、とても興味深い発見でした。

Q 今回、マティスとUTが初めてコラボレーションしました。彼の作品 がTシャツになり、さらに世界中の人々に広まることをどう思いますか。

マティス自身が生前から、作品を日用品や普段着にのせてむやみに商品化しないよう、 家族に厳格なルールを課していました。 とはいえ彼が亡くなったのは1954年で、今とはまったく時代が違います。私たちのカルチャーは現代生活の変化とともに、大きく発展してきました。マティスの作品があらゆるものに印刷されて売られることには、ちょっと抵抗を感じますが、例外もあります。このUTとのプロジェクトの進行を見守るうちに、丁寧な想いと作りで形になったと実感でき、愛着が湧きました。これは家族にとっては大きな変化ですが、時代とともに変わること、そして時代に向き合うことも必要だと考えます。

おそらくマティスにとって、海辺はやはり特別な場所だったのではないでしょうか。一日を通して変わりゆく光は、彼が南フランスをこよなく愛した大きな理由だったように思います。

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アンリ・マティス
ソフィー・マティス
1965年、アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。現代 アーティストとしてNYを拠点に活躍。1996年にNYに移住し、本格的にアーティストとしての活動を開始。「モナ・リザ」の再現作品 がアート界で注目を集め、キャリアの始まりとなった。曽祖父アン リ・マティスの影響を受けつつも、独自の表現と視点でアート界に 新たな息吹を吹き込んでいる。



もっと知りたいマティスのこと

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アンリ・マティス

Robert Capa/International Center of Photography/Magnum Photos/aflo



画家になる前は法律家だった!?

アンリ・マティスは、1869年12月31日、フランス北部に位置する小さな町ル・ カトー=カンブレジに生まれ、3人兄弟の長男として育つ。高校卒業後はパリで法律を学び、法律事務所で働き始めるが、20歳のとき人生の転機がやってくる。病気のため長く療養生活を送っている間、母から絵の具をもらったのをきっかけに絵を描き始めたのだ。そこからマティスは画家を志し、地元の美術学校に通う。しかし国立美術学校の試験には4度失敗。25歳でようやく合格したという。こうして画家アンリ・マティスが誕生した。やがて28歳で結婚、3児の父となるが、その末っ子ピエール・マティスの孫が前出のソフィーである。

画家として脚光をあびる

1905年、35歳のマティスは画家仲間とスペイン国境近くの漁師町コリウールで制作に励む。地中海の光と風景に触発され、強烈な色彩と荒々しい筆致で新たな方向性を模索。そんな中で制作した『帽子の女』(1905年)が、派手な色使いとつぎはぎのような作風で王道から外れているとして物議を呼んだ。 それがフォービズム (野獣派) のはじまり。だが数年後には多くの作家はキュビズムへと移行し、マティスはというと、単純化された構図と色彩で多くの作品を手がけるように。1909年、39歳の頃、ロシアのコレクターから依頼を受けて下絵として作られた『ダンス(I)』は自身にとっても、後の抽象芸術への影響においても重要な作品とされている。

ニースに移住。切り絵という新境地へ

1917年、48歳で南仏ニースに移住。この地で作品制作に没頭し、「オダリスク」シリーズに代表される女性像や室内情景を多数描いている。そして、晩年を迎えたマティスに再び大きな転機が訪れた。大病を患い体が不自由になったことで、絵筆をハサミに持ちかえ、切り絵という革新的な手法で新境地を開く。1947年には画集『ジャズ』を出版し、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂の設計に携わる。その後も1954年11月1日に84歳で亡くなる直前まで制作を続け、『ブルー・ヌード』シリーズや大作となる 『王の悲しみ』 など40点以上もの切り絵を完成させた。


マティスゆかりの地を訪ねる

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アンリ・マティス

マティス美術館

ニースのマティス美術館は、アンリ・マティスの生涯に渡る芸術活動を継承し、その価値を広める役割を担っている。その貴重なコレクションとして、絵画にも描かれているマティス本人が収集した百数十点もの愛用品や家族から寄贈された多数の作品を所蔵する。絵画から切り絵までマティスの全創作時期を網羅し、なかでもヨーロッパで唯一、彫刻作品をほぼすべて所蔵。彼の創作の世界に触れ、作品の進化や革新的な試みを深く知ることができる内容となっている。それらを通して、次世代にインスピレーションを与え、時代や文化の垣 根を超えて、彼の芸術探求の精神を今に伝えることを目指す。 そして、さらなるコレクションの充実と、マティスの生涯や作品に関する研究にも注力している。

164, avenue des Arènes de Cimiez 06000 Nice, France
https://www.musee-matisse-nice.org/en/

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アンリ・マティス

ヴァンス・ロザリオ礼拝堂

設計や内装から衣装まで関わり、マティスが「全生涯の仕事の到達点」と振り返った傑作。礼拝堂の壁面のタイル画や巨大なステンドグラスなどまるごとマティスの世界を感じられる施設。

466, avenue Henri Matisse, 06140 Vence, France
http://chapellematisse.com

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アンリ・マティス

ホテル・ボー・リヴァージュ

1917年12月、マティスが初めてニースを訪れ、数カ月間滞在したホテル。この滞在を通してニースの光や色彩に強く魅了され、色の表現に対する情熱が芽生えたという。

24, rue Saint-François de Paule 06300 Nice, France
https://www.hotelnicebeaurivage.com

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アンリ・マティス

パレ・カイス・デ・ピエルラス

1921年から38年まで暮らしたアパート。建物前のサレヤ広場で開かれる、色とりどりの花、果物、野菜が並ぶ市場はマティスの日常 の一部となる。この場所で『オダリスク』シリーズを描いた。

1, place Charles-Félix, 06300 Nice, France

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アンリ・マティス

ラ・コロンブドール

マティスをはじめ、 ピカソなどの芸術家や思想家たちが集い愛したレストラン。マティスもここで多くの時間を過ごし、女性の肖像画を残している。

Place du Général de Gaulle 06570, St. Paul de Vence, France
https://www.la-colombe-dor.com

© 2025 Succession H. Matisse / Artists Rights Society (ARS), New York


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